容赦ない突風。肩を窄め、懐事情にも耐える日々。寒さの厳しい土地へ引っ越してみると、日本酒に対する情感にも変化が現れます。帰って来られた(涙)。石油ストーブを小脇に抱え、ぼちぼち、のんびり、ゆるっ〜と新たな日本酒ライフを楽しんでいきたいと思います。
今回、人生を見つめ直しちゃってる私の心を鷲掴みにしてくれたのが「どぶろく」様。各酒蔵さんが醸すどぶの美味しさはもちろんですが、昔から受け継がれてきたどぶろくのお味にも興味が湧いてきたこの頃。知りたい‥。
ということで、長年地域で育まれたどぶろくの背景や文化を探ってまいります!
濁酒とはなんぞや。
そもそもどぶろくとは何ぞや、日本酒と何が違うのだろうという疑問が湧きますよね。大方の予測は白く濁っているやつだよね‥という感覚かもしれません。では、どぶろくの定義をお伝えいたします。
その他の醸造酒
「米、米こうじ及び水を原料として発酵させたもので、こさないもの」‥‥濁酒
引用:酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律施行規則第十一条の五(品目の例外表示)
ずばり米、米麹、水で造られたお酒です。あれ?日本酒と同じ‥。そうなんです。日本酒と同じ原料で醸されたお酒なのですが、醪の段階で濾されたのが清酒となり、全く濾さずにとろとろをそのままいただくのが濁酒になります。歴史の部分で少し触れているので良かったら参考にしてみてくださいね↓。
夜なべして日本酒の歴史を紐解く楽しさ。上巻の一。
どぶろくと清酒とマッコリの違いを知る。
今現在、馴染みのある日本酒は透明感のあるタイプですが、江戸時代に遡ればこの濁酒が一般的に親しまれていたお酒なんですね。さらに、布で濾すのではなく比重による分離で、上澄みを清酒、沈殿したものが濁酒とされていました。
毎日、甕を覗きながら味見をしたら、しっかりとした濁酒が生まれそうな予感がします笑。酒呑みは酒造りしちゃあいかんのかもしれませんね。ここで少し気になることが‥。韓国ドラマや焼肉屋さんなどでよく目にするマッコリ。こちらも白く濁ったお酒ですよね。
バリエーション豊かなのがマッコリ。
ご近所さんだからルーツが同じなのかしらと思っていましたが、根本的な違いがあったのです。主な原料は米ですが、もち米や麦、じゃがいもなどを使用するため豊富なバリエーションが特徴的。しかも、アルコール発酵させるために使われる麹は麦麹だったのです。
日本酒は蒸したお米に菌をふるい麹菌を育てますが、マッコリは生の小麦粉と水を団子状にまとめクモノスカビという菌を育成させるとのこと。また荒めの布で濾す工程もあるため、見た目は近くても全く違う飲み物だったんですね。機会があったら飲み比べてみるのも面白いかもしれません。
日本人としてのどぶろく文化。
さて。歴史に登場するどぶろくは、日本の文化と切り離せない重要な存在です。神事の際や地域の祭ごとなど、大事なハレの日と日本人をしっかりと支えてくれていました。むしろ、そういう時でしかお酒を飲むことができなかったという記述もあります。
私含め一般庶民の習わしは、人が集まって皆で酒を囲むのが当たり前だったんですね。気取りながら一人で悦に浸るお酒の飲み方は昭和初期でも珍しいことであったと。えっ、てことは庶民の晩酌って言葉はいつ生まれたのかしら?とふと思っちゃいました。が、こちらは改めての宿題にいたします。
自給自足が当たり前の時代の農民魂。
今でこそ瓶詰めの日本酒はスマホをポチッで購入できますが、その時代瓶詰したお酒を誰が山の中まで運んでくれるのでしょうか。時代劇でよく見かける陶器の酒瓶だけでも重たそうな気がします。アマゾン的な商売をしていた人がいたら歴史に名を残しそうです笑
その中でも、農民が自分達で育てた米を使って、冬場を凌ぐためのどぶろくを造る文化もあったのでしょうが意外にもベールに包まれている‥。これはやはりよく耳にする「密造酒」というワードが原因のような気がします。
神社のどぶろく祭りは許可を得ている。
なぜ、どぶろくを造る文化と禁止する法律が生まれたのか。今でも全国数十ヶ所の神社でどぶろく造りが行われ、神事に使われたり、祭りとして振る舞われたりしています。これは現在、国からの許可の下行われていますよね。酒蔵さんはもちろんのことです。
村の大切なイベントと村人の心を支えたどぶろく。
対して、自ら米を作り、自給自足を日常にしてきた農民たち。出回る清酒が少なかったことやお酒を買う予算が足りなかったこともありますが、どぶろくの存在がその土地での暮らしと強く密着していたのですね。村の祭りや結婚式、葬式、田植えなど、様々な場面で自家製どぶろくが登場しています。
代々受け継ぐ家ごとの味わいや名手が仕込む飲みご心地を、皆で分け合って楽しむ文化があったのです。十人十色の自家製どぶろくを老若男女問わずおしゃべりして、笑い合って楽しむ。それが地域で育まれてきたどぶろく文化だったようです。
今日から造っちゃいけませーん。
ところが1899年(明治32年)1月、自家醸造の全面禁止が言い渡されます。鍵を握るのは明治時代の酒税+大幅増税。室町幕府の時代から酒税は存在しており、これまで自由にどぶろくを作ってきた農民の傍らで、酒造業者は税金を納めていました。
国力増強のために財源確保も重要、税金を払う酒造業者の納得も必要、自家醸造する農民たちの暮らしも大切と三つ巴のバランスが要求されていたのではと私は思うのです。しかしながら、政府は1880年(明治13年)の増税を皮切りにして、段階的に自家醸造の首を絞めながら酒税を大幅に拡大していきます。
密造を始めたというより密造になってしまったのかも‥。
自家醸造の製造数を制限したり、製造されたものに課税したり、さらには免許制と紆余曲折を経て敢えなく禁止。私が農民だったら「えっ、後生ですから‥。」ってちょっと放心しちゃうかも知れません。ついこの間まで暮らしの中に存在していた生きる知恵だったのに!
えぇ、そこで生まれてくるのが密造です。摘発を行う税務署員、通称「酒調べ」対「農民」の仁義なき戦いが繰り広げられ、まるで一本の映画を見ているような盛りだくさんの内容が実際に存在していました。興味のある方は、是非とも書籍を手にしてもらいたくらいです。
電気会社の営業所が、酒調べが村に来たことが分かると、送電線のスイッチを二、三回点滅させて村人に知らせたところもあります。
引用:どぶろく王国/無明舎出版
村人の連携プレイがたまらなく強い絆を感じさせます。高額な罰金や禁固刑を恐れながらも、生活に根付いたどぶろく造りを守ろうとする農民の熱い思い。山中や川岸、畑、天井裏など見つからないように隠す、隠す。さらに土に埋めるのに便利な口細カメなるものまで活用されています。
時代の流れと共に‥寂しいなぁ。
もちろん、かなり多くの村人が毎年のように検挙され、検挙数の増減を繰り返しながら昭和50年代に掛けて減少していったとのこと。実はこの酒税法自体、現在まで続いています。残念ながら、日本人の歴史や文化を繋ぐどぶろくは、今も勝手には造れないのです。
アルコール度数が低く、飲み慣れたお酒だというだけでなく、お米丸ごとの栄養も摂れるため、米を食べずとも力仕事で疲れ知らずであったとも表現されているどぶろく。自分の育てたお米で試行錯誤しながら、自分好みの味わいを造りだす楽しみが本来はあるのです。
今の自分たちができること!
しかし、自家醸造には一縷の望みがあります。通称どぶろく特区。2002年(平成14年)地域経済の自立的な活性化を目指して施行された構造改革特別区域法により、様々な条件をクリアすることで自らどぶろくを造ることが認められるんです。私にとっては夢のような話!
悲しいかな、道のりは遠いんです涙。まずは在住の地域がどぶろく特区に認定されていること。農業者であり、造ったどぶろくを提供できる農家民宿や農家レストランなどを営んでいること。自分が育てた米を使用すること。製造免許の申請を行うこと。ハードルが高いっ。
まとめ。
けれども、実際にクリアしている方々がいるのも事実。気長にのんびり夢を見たいと思います。今回、どぶろくについて調べてみると、本当に一言では言い表せないくらい、日本人の愛情をひしひしと受けて育まれてきた文化があるんだと感じました。
清酒はもちろん、どぶろくもまた日本人の魂がこもった素敵な飲み物であると思います。また新たな視点で日本酒と向き合えそうな、そんな気持ち。くれぐれも皆様は、安全な方法で日本酒ライフを楽しんでいきましょうね〜。
参考:国税庁ホームページ/現代農業WEB/e-Gov法令検索(総務省)/どぶろく王国(無明舎出版)/「諸国ドブロク宝典」貝原浩(農文協)/「間接税における製造および移出の概念」中沢貞雄
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