夜なべして日本酒の歴史を紐解く楽しさ。下巻。

知識

上巻・中巻からの続きです。日本酒と共に、最後の締めとまいりましょう。

新しい歴史が紡ぐお酒の文化。

明治政府以降、新たな歴史が幕を開けます。廃藩置県が実施され、全国的にお酒の制度が統一されていきます。

酒類税の創設はもちろんのこと、米の取れ高で酒造りが決められていた酒株制度が廃止。新しい酒造免許制度により新規参入が叶い、酒造りの間口がグッと広がっていきます。

悩ましい歴史を日本酒と共に味わう。

といっても、一概にメリットばかりではなく、市場が広がらないまま酒造家が増えたため、競争の激化や不正行為によって生まれた安酒に悩まされた時期でもありました。ここに酒税が関わってくるので、純粋な酒造りとしては、まさに混迷の極みと云えるような状態であったと思われます。

真っ当に造るお酒は税金が掛かる、しかし、あちこちで造られていた濁酒は無税、しかも安い。さらには、税務署を通さないあやしい密造酒が安くて売れてしまうという、造り手の想いと消費者ニーズが全く噛み合わない現実があったのです。

それぞれの思惑と消費者の動向。

その後、制度の在り方を考える酒造家と政府が力を合わせながら、市場の安定化や酒造組合の組織向上、安心・安全な酒造りのための抜き打ち検査などを行っていきました。

しかし、私たちもよく耳にする増税が繰り返され、さらに追い打ちをかけるような事態になります。個人消費の落ち込みから、清酒の売れ行きは下降線をたどり、お酒の値段も下落してしまったのです。挙句の果てには、どぶろくの製造・消費の禁止が言い渡されます。

日本酒造りを科学的に解明!

暗い歴史になりそうなので、明るい話題を入れてみたいと思います。明治初期のこと、東京大学の御雇外人教師が日本酒醸造法の研究を始めました。

当時は、職人の勘で造ることが多かったので、科学的な研究は目から鱗でした。外人教師の1人が、日本酒独自の並行複発酵が素晴らしい!という論文を残してくれています。

並行複発酵とは、米を糖化しながら、同時に発酵も行っているという類まれな方法です。造りの工程は、別の回で研究してみたいと思います!

火落ち菌のことは見逃せません。

話は戻りまして、これまで酒造りは科学的に解明されてこなかったため、実際のところ、安定した酒造りが難しい場面があったようです。漫画の「もやしもん」に出てくる、かの有名な火落ち菌の存在ですね。

醪やお酒が腐ってしまうなんて!なんてもったいない‥。正直、お酒が売れないことも痛手ですが、お酒がダメになることは本当の意味で死活問題になります。↓火落ち菌についての記載がありますので是非ご覧ください。

日本酒はまず生酛を選ぶ意味がある。
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酒造りのサポート役・醸造試験所の創立。

その解明と酒造りの安定に挑むべく、このブログの参考でお世話になっている独立行政法人酒類総合研究所(醸造試験所)が明治後半に立ち上がります。山廃や速醸など製造工程の見直しや、優良酵母の研究が進められていきます。

様々な酵母を選べたり、醸造法を変えられたりなど、酒造りの多様化や地域の個性が生まれる要所となっていたのでしょうか。今、私たちが気軽に日本酒を楽しめているのも、おかげさまかも知れませんね。

日本国としての騒乱期を迎えます。

大正時代に入り、第一次世界大戦が勃発、戦中・戦後の日本は好景気に経済が躍ります。が、それと共に酒税が爆上がり。と思いきや急激な恐慌に見舞われ、悲しむべく関東大震災に見舞われてしまいます。酒造業界は、なかなか落ち着つくことができません。

色んな意味で酒造りが変化する。

ここで酒質向上を促す明るい兆しが見えてきます。昭和の初期、今日に繋がる酒造精米機が開発されました。

つまり、米の磨き具合・精米歩合を70%から40%へと格段に上げることが出来たのです。これが無ければ、吟醸や大吟醸と呼ばれる澄んだ美しい酒造りは難しかったのかも知れません。

えっ?金魚酒?

第二次世界大戦中は、少ない原料で日本酒を造ることが求められ、物資の不足や食糧難に直面していたことを物語っています。そのため、質より量を優先させられたうえ、金魚が泳げるほどお水たっぷりのお酒(皮肉で金魚酒)も売られていたそうです。

造り手も酒質もどんどん変化していきます。

また、杜氏に仕事を断られたり、閑散期の農村や漁村からの労力不足により速醸酛(短期間で酒造りができる)の増加が始まります。手間の掛かる生酛や山廃を造りづらくなってしまったんですね。時代の流れは時に残酷です。

さらに、酒感を保ったまま大量のお酒を造るため、アルコールを足してしまうアル添法という方法が採られました。当初は、質のよろしくない燃料用アルコールが使われたそうなので、なかなか背筋が凍る思いがいたします。現在のアル添は、植物由来の安全なものなのでご安心ください。

噂の三増酒がお目見え。

戦後になり、極度の食糧難から三倍増譲酒(三増酒)が造られるようになります。

つまり、米と米麹で造った醪に、2倍の醸造アルコールを足して、さらに糖類(ブドウ糖、水あめ)、酸味量(乳酸、コハク酸)、グルタミン酸ソーダなどを添加して味を整えたものに、アルコールを添加した清酒などをブレンドしたお酒のことです。

やむに止まれぬ事情があったかと‥。

聞いただけで、何を飲まされるのかと思ってしまいますが、当時の深刻化した米不足では必要に迫られていたのかも知れません。そのうえ、一般的に飲むアルコール類といえば日本酒だったのです。

その時代、日本酒不足であったこと、低コストで利益率が高かったことなどからやむを得ない手法であったと思われます。

何においても光と闇、陰と陽、裏と面があるものです。ですので、一概に否定はできないものですし、だからこそ、今のよりどりみどりの日本酒文化の飛躍があるのでは無いでしょうか。

級別はお酒の善し悪しを量るわけではないんです。

少し戻りますが、戦時中、物価の急激な値上がりを抑制するため価格統制令が敷かれました。さらに、戦費調達の名目で行われた級別制度(一級〜四級)は、そののち三段階(特級〜二級)となり、平成には現在に繋がる特定名称酒と云われる分類化が行われたんですね。

その後は、高度成長期時代の熱燗問題やバブル期の冷酒、新潟の淡麗辛口ブーム、地酒ブームなど様々な変遷を見せながら、今現在の多様な世界観が作られていきます。歴史上の皆様、ありがとうございます!

昭和後期から現代に至るまでは、近代日本酒の歴史として別の回に改めたいと思います。続くかな。

まとめ

振り返ってみても、制度や時勢に翻弄されてきた日本酒が、ここまで力強く受け継がれていることに感謝の念が絶えません。

物の数分で忘れてしまいそうですが、覚悟を持って日本酒を楽しみたい!と改めて思いました。

最後まで挫けずに、長い文章をお読みいただきありがとうございました。

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参考:奈良県菩提元による清酒製造研究会(菩提研)/国税庁/ 独立行政法人酒類総合研究所/株式会社サタケ「酒造りと酒造精米の歴史」/滋賀大学経済学部/エネルギー・文化研究所(大阪ガスネットワーク)/J-Stage/大浦春堂「神様が宿る御神酒」

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